あるいは「自分がお客さんでいられないことは?」、という問いはどうだろう。
どんなに映画が好きでも、ただそれを見ていれば幸せで、足りる人はお客さんだと思う。別に客でいることが悪いわけじゃない。店で食事をして、「美味しかったー」とただ満足して家路につけるなら、そこに自分の仕事の影は見あたらないのだろう。他の人がどれほど素晴らしくやっていても、その成果の享受をただ楽しめること。他の誰がやっていても構わずにいられる仕事は、いわば他人事の仕事と言える。
でも「好き」だけではすまない。
今はお客さんの立場でも、ずっとそのままでいられるかというとそんなことはない。というか、そうありたくない。
気持ちがザワザワする。落ち着かない。見たくない。悔しい。時にはその場から走り出したくさえなるような、本人にもわけのわからない持て余す感覚を感じている人は、そのことについて、ただお客さんではいられない人なんじゃないかと思う。
どんなに映画が好きでも、ただそれを見ていれば幸せで、足りる人はお客さんだと思う。別に客でいることが悪いわけじゃない。店で食事をして、「美味しかったー」とただ満足して家路につけるなら、そこに自分の仕事の影は見あたらないのだろう。他の人がどれほど素晴らしくやっていても、その成果の享受をただ楽しめること。他の誰がやっていても構わずにいられる仕事は、いわば他人事の仕事と言える。
でも「好き」だけではすまない。
今はお客さんの立場でも、ずっとそのままでいられるかというとそんなことはない。というか、そうありたくない。
気持ちがザワザワする。落ち着かない。見たくない。悔しい。時にはその場から走り出したくさえなるような、本人にもわけのわからない持て余す感覚を感じている人は、そのことについて、ただお客さんではいられない人なんじゃないかと思う。
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| — | 「自分をいかして生きる」西村佳哲 |
